八畳一間のアパート、同じ部屋で眠る娘の隣で両親が…ノンフィクション作家が「心かき乱された」24歳女性作家の小説(書評)

Book Bang編集部 配信

 


 

 

 貧困、虐待、孤児、薬物依存など凄絶な人生に接してきたノンフィクション作家の石井光太さん。

 

 その石井さんが「ここまで自分が試され、心をかき乱され、ページをめくるのが怖くなるとは夢にも思っていなかった」と恐怖した作品がある。

 

 ヤングケアラーだった上村裕香さんが実体験を交えて描いた小説『救われてんじゃねえよ』(新潮社)だ。

 

 八畳一間のアパートで、難病を抱える母と浪費癖のある父と暮らす17歳の沙智を主人公とした本作に心かき乱された理由とは何か? 

 

「人がなぜ生き抜けるのか」「それをどう語るべきか」という根源的な問いに向き合い、人間のしぶとさと表現の可能性を綴った石井さんの書評を紹介する。

 

石井光太・評「若き才能にただただ震撼した」

『救われてんじゃねえよ』上村裕香[著](新潮社)

 

 二十代の新人の女性が描いたデビュー作を読んで、ここまで自分が試され、心をかき乱され、ページをめくるのが怖くなるとは夢にも思っていなかった。

 

 作品世界は静かに淡々と進んでいくのに、読み進めていくほどに踏み絵を差し出されるような気持ちになるのは、そこに目を背けてはならない、生きることの本質が描かれているからだろう。

 

 本書の主人公は、十七歳の女子高生・沙智だ。アパートの八畳一間で共に暮らしているのは、彼女の母親と父親。家庭は貧しいだけでなく、母親は重たい難病を抱えて自力ではトイレで用を足すことすらできない。父親は普段見て見ぬふりなのに頻繁に妻との性的な行為を求め、妻もまた応じる。沙智はそんな両親を横目に、昼夜の区別なく母の介護に忙殺される――。

 

 最近、格差や虐待など劣悪な家庭環境で育つことを“親ガチャに外れた”という。小説やドラマのテーマになることもあるので、もしかしたら本書もヤングケアラーという親ガチャに外れた若者の日常を描いた作品として広まるかもしれない。

 

 しかし、本書がテーマにするのは、そうした表層的な社会課題ではなく、どん底の生活の中であらゆるものをむき出しにして共依存しなければ生きていくことのできない親子のしたたかな生命力である。秀逸なのは、それを暴力や罵声ではなく、彼らの間に静かに起こる「笑い」によって描いている点だ。

 

 沙智が母親をトイレに連れて行き、尿で重くなった吸水パッドのついたパンツを下ろす時に、思わず口から出た「せーの」という掛け声がばからしくなって笑いだす姿、母親の口が真っ青に染まっているのを見つけ、ブルーレットかマジックリンを飲んだか飲んでないか言い合っている自分たちの滑稽さに気づいて笑いだす姿……。いつ壊れてもおかしくない家庭を寸前のところでつなぎとめているのが、そうした笑いだ。

 

 冒頭で私が「試された」と書いたのは、このような笑いが描写されるたびに、あなたはこれをどう受け取るのかと問いただされる気持ちになったためだ。

 

 たとえば、夜になって沙智が両親と同じ部屋で眠るシーンがある。両親は娘の存在を気に留めることなく性的な行為をはじめる。沙智は眠ったふりをしてことが終わるのを待ち、その後ユニットバスに行き、SNSに「眠れない泣」と投稿する。すると、話したこともないクラスメイトから〈いいね〉が来て、彼女は思わず笑みを漏らす。

 

 このシーンを読んだ読者は、沙智の微笑に共感するべきなのか、それとも同情するべきなのか。

 

 本書を読み進めながら頭を駆け巡ったのは、私がノンフィクションの取材で出会った人々だった。虐待、ひきこもり、薬物依存家族など極限の機能不全家庭を取材してきたが、そこにはたしかに同じような笑いがあった。

 

 DV家庭で育った女の子がいた。父親は酒に酔っては妻に暴力を振るい、家具を壊した後、ハッと我に返り強張った空気を和ませようと子どもたちにアンパンマンの歌をうたうのが常だったそうだ。最初子どもたちは震えながら黙っているのだが、父親が毎回同じところで歌詞を間違えるので、いつもみんなで笑ってしまった、と彼女は話していた。

 

 似たようなことは災害現場でもあった。東日本大震災の際にできた遺体安置所で、亡き親と悲しみの対面を果した家族が「なんで昼間に津波に流されたのにパジャマ姿なのよ」と泣きながら突っ込みを入れて笑っている光景を見たこともある。

 

 彼らが立っている現実は、亀裂だらけの薄氷のようなものだ。ただ、人は大きな絶望だけを背負って生きていけるほど強くはない。どれだけ小さくても暗闇の中に光を見いださなければ前に進んでいくことができないのだ。マッチ売りの少女が命尽きるまでマッチを擦って温かな夢を見ていたように、いかに過酷な状況にあってもわずかな幸福を探し出して歩を進めるのが生きていくということなのである。

 

 本書が描くのは、まさにそうした人間の姿だ。沙智の家族が絶望的な家庭環境の中で小さな笑いを重ねていく姿を活写することで、同情や共感を超越したところにある生きることの本質を読者に突き出してくる。

 

 今後、著者がどれだけ大きな志を持ち、どんな世界を描くのかは未知数だ。身近な社会問題を題材にしつづけるのか、災害や歴史といった壮大な題材で人間の生きる意味を問うていくのか。何にせよ、人が生きる姿をこれほど深い次元でえぐり取った若い才能に触れられたことに、私はただただ震撼している。

 

[レビュアー]石井光太(ノンフィクション作家)

1977年、東京都生まれ。海外の最深部に分け入り、その体験を元に『物乞う仏陀』を上梓。斬新な視点と精密な取材、そして読み応えのある筆致でたちまち人気ノンフィクション作家に。近年はノンフィクションだけでなく、小説、児童書、写真集、漫画原作、シナリオなども発表している。主な作品に『絶対貧困』『遺体』『43回の殺意』『「鬼畜」の家』『近親殺人』『こどもホスピスの奇跡』(いずれも新潮社)『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』『教育虐待: 子供を壊す「教育熱心」な親たち』など。

 

協力:新潮社 新潮社 波

 

 Book Bang編集部

 

 新潮社

 

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