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実は「聖書」の発行部数がアメリカ・イギリスに次ぎ第3位の日本…キリスト教信仰をもち29歳で亡くなった「八木重吉」の言葉に思うこと(Bookレビュー)

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 ブックバン      9/2(火)   6:00      名著には、印象的な一節がある。  そんな一節をテーマにあわせて書評家が紹介する『 週刊新潮 』の名物連載、「読書会の付箋(ふせん)」。    今回のテーマは「聖書」です。選ばれた名著は…?   ***   八木重吉 はキリスト教信仰をもつ詩人である。だが教会に属してはいなかった。 『八木重吉詩集』をひもとくと、集団に属したり教義に帰依したりするのは苦手な人だったろうと思える。あまりにひたむきで傷つきやすい。序にいわく「私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません」。体は病弱、結婚して二児に恵まれながらも暮らしは貧しい。そんな彼にとって聖書はかけがえのない友だったようだ。 「ギリシャ語の聖書をよめば/とをのうちのたったひとつのいみがわかるだけでも(中略)/おさなごのようにたんじゆんなまことが/すぐさまこころへふれてくるのをかんずる」  新約聖書のギリシャ語原本を読み解こうとするのだからまるで聖書学者だ。しかも八木の詩は決して堅苦しくなく、「おさなご」の言葉のような響きを失わない。しかし聖書との関係はやがてこう変わる。 「聖書のみに依る信仰はあやうし! われ今にしてこれをしる、おそきかな、」  そう記した年、重吉は 結核 罹患 の診断を受け、翌年逝去してしまう。享年29。残された作品は痛ましいほど純度が高い。「鉄がとけるように/論理もとけてくる/きりすとはただしかったのだ」。そんな確信とともに安らかに逝ったと思いたい。   日本 のキリスト教徒は人口の約1パーセント。しかし聖書の発行部数は米英につぎ世界で三番目だという。八木のように聖書と親密に対話する詩人はいまもいるのだろうか。 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社  

『源氏物語』は怪談としても最高傑作! 吉田悠軌が紹介する「教養としての名作怪談」3選(Bookレビュー)

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 ブックバン       9/2(火)   6:00     「怪談」と聞くと、幽霊や心霊スポットといった、純粋に背筋が凍るような怖い話をイメージする人が多いかもしれない。 そのイメージを覆し、怪談の新たな魅力を広めているのが、怪談研究家の吉田悠軌さんだ。 歴史や民俗学、文学といった多様な要素を取り入れ、「怪談の奥深い世界」を体験させてくれる一冊『教養としての名作怪談』を刊行した吉田さんが、怖さだけではなく、怪談の新たな魅力を知るためにオススメの怪談本とは?  【源氏物語】千年前の「生霊」に学ぶ嫉妬と愛憎劇 『源氏物語』は、日本文学の最高傑作のひとつ。この作品、実は怪談としても一級品であることをご存じでしょうか。 その内容には、愛する人への強い嫉妬や憎しみが生霊という形になって現れる、というものがあります。主人公・光源氏の正妻である葵の上、そして光源氏と人知れず逢瀬を重ねていた夕顔が、光源氏の愛人であった六条御息所の怨念に祟られ、それぞれ命を落とすというエピソードは、まさに「生霊」を描いた日本最古の怪談です。 もしかしたら、自分は誰かに恨まれているかもしれない。もしくは、誰かのことをひどく恨んでいるのかもしれない。 源氏物語こそ、愛憎渦巻く人間関係のダークサイドを描き切った大傑作怪談でしょう。人を恨んだり妬んだりする気持ちは、千年前から現代に至るまで、変わることがないのです。 <POINT> ・光源氏の愛人・六条御息所の生霊が彼の周りの女性へと祟る。 ・夕顔は突然死し、光の正妻・葵の上は御息所にとり憑かれる。 ・人間関係の軋轢としての生霊を、紫式部が見事に描いた。 【三種の神器】「怪談めいたエピソード」に隠された日本の歴史 皇位の証とされる三種の神器、八咫鏡(やたのかがみ)・草薙剣(くさなぎのつるぎ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)。 その存在は謎に包まれており、誰も見てはいけないとされています。 実際に、神器を祀る神官が不吉な目に遭ったり、天皇が神器にまつわる禁忌を破り、災いに見舞われたりする話が残されています。これらの話は、神器が単なる宝物ではなく、日本という国にとって、そして古来の日本人にとって、畏怖の念を抱くほどの神秘的な存在であったことを示唆しているのではないでしょうか。 また、とにかく異説が多い...

美容外科の宣伝文句「痩せたらなにもかもが変わる!」で食べ物を受け付けなくなった少女…「該当作なし」の第173回芥川賞候補作『たえまない光の足し算』(Bookレビュー)

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 ブックバン      9/1(月)   6:00      都会的なその街の駅裏には公園があり、中心には「かいぶつ」と呼ばれる不気味な時計台が立ち、絡みつくようならせん型の展望台が囲む。何周もあるらせんには少年少女が散らばって陣取り、「とび商」と自称しながら観光客相手に 個人商売 をしている。治安がいいとは言えないこの場所が、小説の舞台だ。  薗はその商売人。観光客から施された非食物を食べる「異食の道化師」だというのだが、これは彼女の芸でありながら、偽りなしの性分でもある。  美容外科のポスターで「痩せたらなにもかもが変わる!」という言葉を見て以来、食べ物らしい食べ物は受けつけず、雑草や土や金属の方が抵抗なく喉を通り、好物は花の蕊。「あの細くて、ふくらんでしなって先に粉を貯める蕊の影が花びらに映るのが好きだった」というミクロな視点が、食用として顔を寄せて向き合っていることを物語る。  現実離れしているが、その世界は現実に根を張ったものだ。薗は餓死することはないが、異食によって生理がこないことを意識するし、彼女の食生活を心配する者も少なくない。  その一人である抱擁師のハグのアパートで暮らすことになり、薗は少しずつ彼女に体と心を預けようとする。そこにもう一人の同居人となる軟派師の弘愛が現れると、彼に対する嫉妬も 見え隠れ し始める。  しかし、いくらか共に過ごしたところで、彼らの結びつきや愛憎はどこか空虚だ。その理由は、彼らの自我が「とび商」として営む商売に支えられているせいだろう。そして、その職業倫理は若く未熟であるがゆえに単純で、清く危うい。  薗は自分たちを「非生活者だった」と考えるが、確かにこの小説は、生活を介入させずにどんな仕事が可能かという葛藤に満ちている。それに向き合う作者の姿が、半幻想の舞台設定や、光あれと刻みつけるような文体の奥に透けて見えるようだ。 [レビュアー] 乗代雄介 (作家) 作家。86年生。著書『 ミック・エイヴォリー のアンダーパンツ』 協力: 新潮社  新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社