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佐野寿宏のBOOKブログ!J・D・サリンジャーが出来に「満足しなかった」未収録作品集 深刻なPTSDを発症も…「未熟」ではない初期作品の味わい方(Bookレビュー)

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 ブックバン      9/1(火)   6:00        サリンジャーといえば、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で知られるアメリカ合衆国の小説家である。その熱狂的人気がもたらした喧噪を嫌って田舎での隠遁生活に入り、いくつかの小説を発表して沈黙、2010年に亡くなった。  作家デビューした1940年から1951年の『キャッチャー』の頃までに多くの短編を発表しているが、大半は後年、著者自身が出来に満足せず単行本への収録は許されなかった。本書『サリンジャー初期短篇全集』はその未収録作を集めたもので、ともすれば「未熟な」と形容されかねないものもある。しかし、それらを時系列に並べることで、一人の作家が自分の人生を送り、その経験に作家的打算を加えながら、またそれができないほど深刻な影響を受けながら、それでも書くことで拓かれていった『キャッチャー』へ続く道が意義深く現れている。    その間、例えば第二次世界大戦があった。諜報部隊に所属していた彼は、ノルマンディー上陸作戦、ヒュルトゲンの森の戦いなど過酷な戦闘に参加し、ホロコーストのほとんど最初の目撃者になり、深刻なPTSDも発症した。小説の中の戦争は、その進行と著者が置かれていた状況で生々しく変わっていく。軍隊での訓練がユーモアを交えて描かれた1941年の「コツをつかめば」から4年弱、「フランスにいる少年」の主人公は死んだドイツ兵が掘った血だらけの蛸壺壕の中にいる。  訳者あとがきにあるように、本書は頭から読み進めていくべきだ。それどころか、一編読むたびにあとがきを開き、作品ごとに著者の当時の状況を確かめることで、引き出されるものはより多くなるはずだ。  もちろん、すでに散見される言葉の輝きは純粋な読む喜びも与えてくれる。感じのいい声を説明した「まるで人生の大半、幼い男の子たちにクッキーのありかを伝えてきたみたいな声」(「ある歩兵隊員に関する個人的メモ」)なんて絶妙である。 [レビュアー]乗代雄介(作家) 作家。86年生。著書『ミック・エイヴォリーのアンダーパンツ』 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社    

佐野寿宏のBOOKブログ!とっくり型、円盤型、神殿型…給水塔鑑賞の先駆者によるハンドブック『まちかど給水塔図鑑』を紹介(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/31(月)   6:00        暗渠や坂道、マンホール、信号機、エアコンの室外機、公園遊具、鉄塔など、昨今ますますジャンル的活況を呈している路上観察系の街歩き。その一翼を担う給水塔鑑賞の先駆者によるハンドブック『まちかど給水塔図鑑』(高水湧基・著)が出た。  著者の前作『団地の給水塔 大図鑑 』も面白かったが、そこから何が変わったかというと、団地以外の給水塔や配水塔、高置水槽までも取り上げている点。おかげで給水塔と配水塔は何が違うのか理解が深まった。私が街を歩くときは正直そこまで区別はせずに見ており、街なかに屹立するオブジェとして、給水塔だろうと配水塔だろうと、アパートなどの屋根の上にある高置水槽含め、どれも惹かれる何かを感じていた。  写真を見ると、とっくり型、円盤型、神殿型、待ち針型など、著者が分類する形の面白さはもちろんのこと、街のなかに突如異質なものがそびえたっている風景の違和感も重要なポイントに思える。  近年は増圧ポンプを利用してタンクを経由せずに給水する方式が普及し、給水塔の数は減る傾向にあるそうだ。その点は残念だし、タンクが存在してもFRP製の四角いパネルタンクだったりすると、形状に面白みがなく、そそられない。やはりどこか異様で、まわりから浮いた姿であってほしい。  本書のなかで膝を打ったのは、著者が給水塔を見に行っているときにふと「給水塔に見られている」と感じる瞬間があると告白していることだ。実は自分も子どもの頃、給水塔が何のためにあるのか知らず、ずっとあれに監視されていると感じて、不気味に思っていた。不気味だからこそ今も気になる存在として、つい見入ってしまうのだろう。  版元の創元社は、このまちかど図鑑のシリーズ化を意図しているようで、すでにガードパイプや送水口の図鑑が出ている。今後街の風景のなかからどんなものが抽出されてくるのか、期待をこめて見守りたい。 [レビュアー] 宮田珠己 (エッセイスト) 1964年兵庫県生まれ。大阪大学工学部卒業後、会社勤めの 傍ら アジア各地を旅する。1995年、『旅の理不尽〜アジア悶絶篇』を自費出版してライターデビュー。以来、旅とレジャーを中心に幅広い分野で執筆活動を続けている。『旅の理不尽アジア 悶絶篇』『わたしの旅...

佐野寿宏のBOOKブログ!「司馬遼太郎」はなぜ「宮本武蔵」を好まず、評価もしなかったか? 『真説宮本武蔵』で「試合」を「殺人」と呼んだワケ(Bookレビュー)

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 ブックバン       8/27(木)   6:00        名著には、印象的な一節がある。  そんな一節をテーマにあわせて書評家が紹介する『週刊新潮』の名物連載、「読書会の付箋(ふせん)」。    今回のテーマは「師匠」です。選ばれた名著は…?   宮本武蔵は、数え年13から29まで、60余度の仕合を勝ち抜いたという。大変な頻度だが、その最初の仕合は剣ではなく、武者修行者を少年武蔵が逆落しに殺したのである。司馬遼太郎は『真説宮本武蔵』で、それを「殺人」と呼んだ。 「武蔵はついに生涯、何流をも学ばず、何者をも師としなかった」「学ばずに実際の格闘から体系をたてた兵法家は、古来、武蔵ひとりであった」  幼い武蔵が実父新免無二斎を嘲弄した。無二斎は怒りのあまり武蔵に小刀を投げ、さらに小柄を投げた。それた小柄を柱から抜き取りながら、武蔵は父をあざ笑いつづけた。  敵の刀を片手の十手でこじりとり、残る片手で抜刀して相手を斬る十手術の名人であった無二斎が、あるいは二刀流のヒントとなった可能性もあるが、いずれにしろ過剰に特異な父子とその関係であった。  司馬遼太郎は武蔵の剣技について書いている。 「しょせん、兵法は、太刀行きの早さできまる。太刀行きの迅速さは、卓抜した運動神経と膂力と気力の三拍子がそろうことによって可能だが、武蔵は千万人に一人といえる天賦があった」「武蔵を学ぼうとすれば武蔵になる以外に手はなかった」  武蔵は「師」になれる人ではなかった、取り巻きはいても「弟子」はいなかった。「教育」による伝達と受容をこそ重視した司馬遼太郎は、独立峰のような「天才」を好まず、評価もしなかった。 [レビュアー]関川夏央(作家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社    

佐野寿宏のBOOKブログ!オモコロ・原宿が迫る! 文藝賞作家・松田いりの最新作『ハッピー山』の抱腹絶倒な魅力(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/24(月)   6:00        文藝賞作家・ 松田いりの の新刊『 ハッピー山 』が刊行。本作を、ライター・ オモコロ 二代目編集長の原宿さんが語る。  ***  誰だって、ハッピー山へ登りたい。ハッピー山の頂上から、ハッピー麓(ふもと)を一望したい。けれどハッピー景色に至る登山道は長く困難だ。それはもう、「 高尾山 って1号路でも意外とキツいな」って感じの比じゃなく。  この小説は、SNSで誰もが羨んでくれる〈イケてる〉生活を手に入れるべく、上京して文化資本のあるコミュニティに属さんと目論んだ女性“佐伯”が、輝こうという思いとは裏腹に情報に目を回しているだけで毎日が終了し、まともにレンタカーを借りることもままならぬまま因果は巡って、ようやく調達したボロッボロのミニバンのクーラーから流れてくる〈臭い風〉を浴び続け、祝祭的な破綻を迎えるまでの物語である。わかる! 古い車のあの「いやに冷たくて臭い風」! この描写を目撃した時、少年時代に従兄弟のお父さんの車に乗せてもらっている時のちょっと車酔いしそうな身体感覚まで蘇ってきた。オエッ。  このあと、レンタカーの風で体調が悪くなった佐伯がドライヴ感のある展開のまま、一気呵成に「ウンコ」を漏らしてしまうのも良い。“東京1”になれそうだったキャンプで脱糞、それでも理想のキャンパスライフを諦められないという涙ぐましい態度で〈便を尻下に保持しておく〉。これだ! という感じである。ここにこそ人間の哀しみと誇りが詰まっている。もはや破滅は約束されているのに、それでも人間は最後の一瞬まであがこうとする。美しい。  新人賞を受賞した作家が、ハードルが高くなると一般的に言われている受賞一作目でこんなにも克明に“脱糞”という行為に宿る人間性を描写してくれることに嬉しくなった。このコーナー、こんなにウンコの話をしていて大丈夫ですか? でもこれって案外大事なことのような気もしていて、それはつまりハッピーへ至る道とは、極端に言えば自分の中の糞便、汚い体や心をつぶさに観察して、「ナシにしない」道だとも思うからだ。人間はウンコをするように宿命づけられた存在なのに、それを否定し抑圧することは大変なエネルギーを伴う。弱った心がハッピー山頂への道を曇らせ、気がつけば他...

佐野寿宏のBOOKブログ!気鋭の作家・土門蘭による初小説! 時代も国境も貫くヒストリカルサスペンス『戦争と五人の女』 評者:植本一子(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/21(金)   6:00        土門蘭の新刊『戦争と五人の女』が刊行。本作を、写真家でエッセイストの植本一子さんが語る。  ***  本作は戦争が終わって数年後の、広島・呉の娼婦のいる町が舞台になっている。戦争という暴力が弱いものたちに何を残したのか、5人の女の身体と視線を通して、物語は進んでいく。物語の中では徹底的に暴力が描かれていた。それは当時、戦争の形跡が色濃く残る中、存在したものでもあるし、今でも別の形で残されているものでもある。その暴力の大半には、性が含まれている。女たちは生きるために身体を売り、妊娠し、レイプが起きる。それらは甘んじて受け入れられているようにも、抵抗のために行われているようにも感じられる。生々しい描写に、性は生の証でもあるのだと、改めて思わされる。  土門蘭という人は、嘘がつけない人だと思う。今年出版された文章術のエッセイ『ほんとうのことを書く練習』が多くの人に読まれているのも、その正直さがこの時代には珍しいことだからではないだろうか。心の底にあって、普段は取り出さないようなものこそが書く際には大事で、それを通じてやっと人とつながることができるのだ、と言っている気がした。わたしも大事にしていることを、彼女はこうして言葉にしたのだと思った。  今回、土門さんがエッセイではなく小説でしか書けなかったことを考えた。わたしは普段、小説家でない人の書く物語を手に取ることはほとんどない。小説家がエッセイを書く場合はすんなり受け入れられるのに、その逆が難しいのはどうしてだろう。自分には到底できないことであり、同時にフィクションを書くことの難しさを実感しているから、どこか気恥ずかしさが出てしまい、真っ直ぐに受け入れられない。さらに今回は性の要素も大きい。わたしはフィクションは書かないと決めているし、まして性の絡むことは一切書かないようにしている。それは自分を傷つけないためでもある。    それでも、フィクションの力を借りずには書けないことがあるのは確かなのだ。この小説には土門さんのアイデンティティのそばにあるものがちりばめられていることに、否が応でも気づいてしまう。出身地の呉が舞台であること、韓国籍の人々、女であること。そして戦争経験者の末端に自分がいること。...

佐野寿宏のBOOKブログ!芥川賞候補作! チャット通知やまぬ会社員を描いた超リアルな「不眠」文学――八木詠美『アンチグッドモーニング』書評 評者:土門蘭(Bookレビュー)

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 ブックバン       8/20(木)   6:00           八木詠美 の新刊『アンチ グッドモーニング 』が刊行。第175回 芥川賞 候補作にノミネートされた本作を、文筆家の土門蘭さんが語る。  ***  あなたにとって、この世で一番恐ろしいことは?   そう尋ねられたら迷わず「眠れないこと」と答える。私は今40歳だが、30代半ば、不眠で悩んでいた時期があった。この作品の主人公「わたし」と一緒だ。一睡もできず朝を迎える絶望感、日中ついてまわる重たい倦怠感、これまでどうやって眠っていたのかさっぱりわからなくなる 焦燥感 ……この小説を読んでいる間、あの辛かった時期を思い出した。 「わたし」は食品メーカーの広報として、リモートワーク中心に働いている。社員のウェルビーイングを掲げる会社だが、無数に届くチャット通知や業務時間外でもかかってくる電話など、実情は過剰な仕事量とルールと忖度にまみれ、「わたし」はすっかり疲弊している。疲弊しているなら休めばいいと、誰もが思うだろう。でも「わたし」は休むことができない。連絡を無視することも、電話を切ることも、会社を辞めることも。 「わたし」は眠れない間にいろんなことを思い出す。そのほとんどが、かつての誰かへの怒りを伴う記憶だ。だけど「わたし」は、誰に対しても怒らなかった。耐え忍び、口をつぐみ、諦めた。まるで怒ったら、とんでもなく悪いことでも起こるかのように。  彼女は思う、「世界にはさらに悲惨なことがあり、わたしなんかよりはるかに怒るべき人々がたくさんいる」と。そして言い聞かす、「ケセラセラ、ピンチはチャンス、自分の機嫌は自分でとる!」と。そんな風に、「わたし」の怒りは常に飼い慣らされている。でも、それは誰のために、何のために?  「わたし」は眠れない間、手足の熱を感じる。いつまで経っても燃やし尽くされないくすぶった怒りが、彼女の身体を蝕んでいく。不眠仲間は「これまで無視してきたものが復讐しに来たんだ」と言った。その通り。無視された自分が、無視した自分に復讐しにやってきたのだ。いつまでも意識がある、いつまでも自分が消えないという、この世で一番恐ろしい形で。  その後、「わたし」は謎の男に、魂の一部を渡せば眠れるようになるという取引を持ちかけられ、...

佐野寿宏のBOOKブログ!96歳の作家・皆川博子による傑作長編『ジンタルス』の魅力を書評家・石井千湖が語る(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/19(水)   6:00         皆川博子 の新刊『 ジンタルス RED AMBER 』が刊行。本作を、書評家でライターの 石井千湖 さんが語る。  ***  今年の一月、ドイツの文豪ゲーテの琥珀コレクションの中から約四千万年前のアリの化石が発見されたというニュースが報じられた。希少な鉱物ではなくただの樹脂が、生き物を封じ込め、途方もない歳月を経て宝石になる。皆川博子の最新長篇『ジンタルス RED AMBER』を読むと、長い時をはらんだ書物は琥珀に似ていると思う。  舞台は十九世紀、帝政期のロシア。農奴の孤児ミハイル・イリイチ・ロマネンコ(ミーシャ)は、住み込みで働いていた教会の輔祭(司祭の補佐)のはからいで、伯爵の従僕をつとめながら絵を学ぶことになる。ミーシャが才能を開花させるまでの経緯と、彼が著す小説『秘密法廷』の内容がパラレルに描かれていく。『秘密法廷』の主人公ジンタルスは、リヴォニア語を母語とする リーヴ 人だ。リヴォニアは現在のバルト三国のラトヴィアとエストニアの一部からなる地域で、十三世紀にドイツ騎士修道会によって侵略された。家族を虐殺されキリスト教に改宗させられた少年ジンタルスは、復讐心を秘めつつ修道院で暮らす。  画家を目指しているはずのミーシャが、なぜ大昔の外国人の話を小説にすることになったのか。鍵を握るのが紅い琥珀とステンカだ。  子供のころ、ミーシャが樫の樹のうろにたまったやにで遊んでいると、輔祭が琥珀の生成に関する知識を与えてくれた。輔祭は〈かつては、琥珀は貝や海藻のように、海の恵みと思われていた〉〈太古の地層から流れ出し、海流にのって、遠い海辺に流れ着く〉と言う。海のように青い琥珀は存在しないが〈紅い琥珀はまれに発見される〉と聞いて、ミーシャは〈本来蜂蜜色である琥珀のなかで、紅くあろうとする〉紅い琥珀に惹かれる。  ステンカはミーシャが仕える伯爵家で“亡霊”(プリーズラク)と呼ばれる青年だ。先代伯爵の息子なのに認知されず、下女たちに育てられて、そのまま屋敷の図書室に居着いた。ミーシャは農奴という身分に縛られているが、存在しない者扱いのステンカは身分そのものを持たない。寄る辺ない二人は、好きな書物を介して親密になる。ミーシャはステンカに、海を旅する...

佐野寿宏のBOOKブログ!佐藤 雫『汽笛、聞こえる』を大矢博子さんが読む(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/18(火)   6:00     日本最初の〈保育園〉が救ったのは誰か  明治二十九年、理由あって故郷を出たナカは、新潟静修(せいしゅう)学校に奉公することになった。勉強の意欲はあっても家庭の事情で進学できない子どもたちのために、赤澤(あかざわ)鍾美(あつとみ)が開いた私塾である。親に代わって弟妹の世話をしている生徒が多く、ナカの仕事は彼らが勉強に集中できるよう、子守をすることだった。  やがてナカは鍾美と結婚。私塾の付設子守室は生徒の弟妹に加え、近所の子どもたちも無償で預かるようになる。しかしそれは当時の法に反することで……。  日本で初めての託児施設と言われる新潟市の現・ 赤沢保育園 が誕生するまでを描いた物語である。しかしそうまとめてしまうと零(こぼ)れ落ちるものがある。本書の主眼は〈保育園誕生秘話〉ではなく、ヤングケアラーの問題の方にあるからだ。  明治に入り、学制の整備とともに幼稚園も設立された。だがそこに子どもを通わせられるのは裕福な利用者だけ。多くは家庭で子どもを世話するしかなく、親が働く以上その役目は兄姉に回される。そのために自分の勉強ができない、上の学校に進学できない若者が増えていく。  付設子守室を作った理由について、赤澤は言う。「彼らに、弟や妹のせいで学べなかった、とだけは、思ってほしくなかったから」  これは過去の話ではない。令和の世になっても、家事や介護を担う若者たちは確固として存在し、彼らの今と未来が狭められている。大人も同じだ。保育園が見つからず仕事が続けられない親も多くいる。それを個人的事情だから仕方ないと放り出して是とするのか。本書はそんな問いを投げかけているのだ。  私財を投じ、地元の人々に愛される託児施設を運営した赤澤夫妻は確かに素晴らしい。さまざまな障害を乗り越える様子も読ませる。だが美談として消費して終わりにするのではなく、なぜさまざまな障害を乗り越えて運営し続けることができたのかをぜひ読み取ってほしい。  終盤、視点人物の正体がわかったときには胸が詰まった。まさに今こそ、読まれるべき一冊だ。 大矢博子 おおや・ひろこ●書評家 [レビュアー]大矢博子(書評家) 1964年大分県生まれ。書評家。 名古屋在住 。雑誌・新聞への書評や文庫解説...