佐野寿宏のBOOKブログ!気鋭の作家・土門蘭による初小説! 時代も国境も貫くヒストリカルサスペンス『戦争と五人の女』 評者:植本一子(Bookレビュー)
ブックバン 8/21(金) 6:00
土門蘭の新刊『戦争と五人の女』が刊行。本作を、写真家でエッセイストの植本一子さんが語る。 *** 本作は戦争が終わって数年後の、広島・呉の娼婦のいる町が舞台になっている。戦争という暴力が弱いものたちに何を残したのか、5人の女の身体と視線を通して、物語は進んでいく。物語の中では徹底的に暴力が描かれていた。それは当時、戦争の形跡が色濃く残る中、存在したものでもあるし、今でも別の形で残されているものでもある。その暴力の大半には、性が含まれている。女たちは生きるために身体を売り、妊娠し、レイプが起きる。それらは甘んじて受け入れられているようにも、抵抗のために行われているようにも感じられる。生々しい描写に、性は生の証でもあるのだと、改めて思わされる。 土門蘭という人は、嘘がつけない人だと思う。今年出版された文章術のエッセイ『ほんとうのことを書く練習』が多くの人に読まれているのも、その正直さがこの時代には珍しいことだからではないだろうか。心の底にあって、普段は取り出さないようなものこそが書く際には大事で、それを通じてやっと人とつながることができるのだ、と言っている気がした。わたしも大事にしていることを、彼女はこうして言葉にしたのだと思った。 今回、土門さんがエッセイではなく小説でしか書けなかったことを考えた。わたしは普段、小説家でない人の書く物語を手に取ることはほとんどない。小説家がエッセイを書く場合はすんなり受け入れられるのに、その逆が難しいのはどうしてだろう。自分には到底できないことであり、同時にフィクションを書くことの難しさを実感しているから、どこか気恥ずかしさが出てしまい、真っ直ぐに受け入れられない。さらに今回は性の要素も大きい。わたしはフィクションは書かないと決めているし、まして性の絡むことは一切書かないようにしている。それは自分を傷つけないためでもある。 それでも、フィクションの力を借りずには書けないことがあるのは確かなのだ。この小説には土門さんのアイデンティティのそばにあるものがちりばめられていることに、否が応でも気づいてしまう。出身地の呉が舞台であること、韓国籍の人々、女であること。そして戦争経験者の末端に自分がいること。もちろん、これが彼女の話というわけではなく、土門さんの心の底に何があって、この物語を書くことで何を掴もうとしていたか、その方に目が向いてしまう。 戦争という大きな出来事は歴史上だけのものではなく、自分の血にも流れている。それを確認するために、自分を知るために、彼女は小説という形をとって、自分に近づこうとしたのではないか。そんなふうに思えてならない。 フィクションという手法を取ることの無限の可能性と同時に、ひとりの人間の中から出てくる物語の深さと大きさ。ここにも彼女にとっての「ほんとうのこと」が書かれている。 [レビュアー]植本一子(写真家、エッセイスト) 協力:河出書房新社 河出書房新社 文藝 Book Bang編集部 新潮社
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