佐野寿宏のBOOKブログ!芥川賞候補作! チャット通知やまぬ会社員を描いた超リアルな「不眠」文学――八木詠美『アンチグッドモーニング』書評 評者:土門蘭(Bookレビュー)
ブックバン 8/20(木) 6:00
八木詠美の新刊『アンチグッドモーニング』が刊行。第175回芥川賞候補作にノミネートされた本作を、文筆家の土門蘭さんが語る。 *** あなたにとって、この世で一番恐ろしいことは? そう尋ねられたら迷わず「眠れないこと」と答える。私は今40歳だが、30代半ば、不眠で悩んでいた時期があった。この作品の主人公「わたし」と一緒だ。一睡もできず朝を迎える絶望感、日中ついてまわる重たい倦怠感、これまでどうやって眠っていたのかさっぱりわからなくなる焦燥感……この小説を読んでいる間、あの辛かった時期を思い出した。 「わたし」は食品メーカーの広報として、リモートワーク中心に働いている。社員のウェルビーイングを掲げる会社だが、無数に届くチャット通知や業務時間外でもかかってくる電話など、実情は過剰な仕事量とルールと忖度にまみれ、「わたし」はすっかり疲弊している。疲弊しているなら休めばいいと、誰もが思うだろう。でも「わたし」は休むことができない。連絡を無視することも、電話を切ることも、会社を辞めることも。 「わたし」は眠れない間にいろんなことを思い出す。そのほとんどが、かつての誰かへの怒りを伴う記憶だ。だけど「わたし」は、誰に対しても怒らなかった。耐え忍び、口をつぐみ、諦めた。まるで怒ったら、とんでもなく悪いことでも起こるかのように。 彼女は思う、「世界にはさらに悲惨なことがあり、わたしなんかよりはるかに怒るべき人々がたくさんいる」と。そして言い聞かす、「ケセラセラ、ピンチはチャンス、自分の機嫌は自分でとる!」と。そんな風に、「わたし」の怒りは常に飼い慣らされている。でも、それは誰のために、何のために? 「わたし」は眠れない間、手足の熱を感じる。いつまで経っても燃やし尽くされないくすぶった怒りが、彼女の身体を蝕んでいく。不眠仲間は「これまで無視してきたものが復讐しに来たんだ」と言った。その通り。無視された自分が、無視した自分に復讐しにやってきたのだ。いつまでも意識がある、いつまでも自分が消えないという、この世で一番恐ろしい形で。 その後、「わたし」は謎の男に、魂の一部を渡せば眠れるようになるという取引を持ちかけられ、不思議な世界に迷い込む。そこで彼女が何を選択するのかは、ぜひ作品を読んで見届けてほしい。 ところで私の不眠はというと、ボクシングを始めてから徐々に解消された。仕事終わりの夕方、体内に溜まった熱を発散するかのように、サンドバッグを殴り続ける。限界が近づくにつれ、まるで闘志に火をくべるように、怒りの記憶が次々と湧いてくる。それらに向かって腕が上がらなくなるまで殴り切ると、熱は汗とともに流れ落ちスッキリして、夜、自然と眠れるようになった。これを自分は望んでいたんだと気づいた。 受け身を学ぶな、炎を消すな、怒れ、生きろ! そんな声が、この小説の奥からずっと聞こえてくる。誰かの「いい朝」のために死ぬことなんてない。私たちは自ら光を見つけられるのだから、と。この世で一番恐ろしいことに立ち向かう方法を、この小説は教えてくれる。 [レビュアー]土門蘭(文筆家) 協力:河出書房新社 河出書房新社 文藝 Book Bang編集部 新潮社
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