「私娼の町」で体を売る女性たちから「永井荷風」は何を見たのか? 代表作を生んだ“観察者”としての視点(書評)

ブックバン    7/9(水) 6:00

 


 

 著者が『荷風と東京「断腸亭日乗」私註』を上梓したのは1996年。荷風の日記である『日乗』を読み込み、文学や生活、生きた時代と愛した東京を浮き彫りにしていた。あとがきにも「よくぞこれまでこの方法が手つかずで残っていた」と記される画期的な荷風論だった。  2018年から6年に及んだ連載をまとめた本書は2作目の荷風研究書だ。手がかりとなるのは、やはり『日乗』である。基本は隠れ家のような住居「偏奇館」などでの静かな独居生活。何を食べ、何を読み、どこへ行き、何を見て、何を思ったのか。作品と読み比べながら、その日常と内面の襞を探っていく。  荷風が「玉の井」通いをするようになったのは昭和11年。二・二六事件の年であり、翌年には日中戦争が起きる。時代に息苦しさを感じ始めていた荷風は、東京の中心からはずれた私娼の町で、美しく、気立てのいい女性たちと出会う。  しかし、荷風はいわゆる好色ではない。彼女たちが持つたおやかさ、優しさ、かぐわしさなどを愛したのだと著者はいう。風景だけでなく、人間に対しても「観察者」として向き合った荷風。身体を売って生きるしかない女性たちに、人の世の悲哀を見ようとしたのだ。やがて代表作の一つ『濹東綺譚』が生まれる。  著者によれば、荷風は「ノスタルジーの作家」だ。敗戦をはさんで書かれた『問はずがたり』も、若き日に関わった女性たちを思い出す過去追慕の物語だ。主人公は回想を唯一の慰藉としながら静かな日々を過ごしている。そこにあるのは老境に入った荷風の「末期の目」だ。  実は、本書と前作を比べると大きな変化がある。50代だった著者が80歳を越えたのだ。荷風と同じ「単身者」となったことでの発見や再発見も多い。読み進めると、時折り著者と荷風が重なる瞬間がある。老いた単身者の豊かな生き方が重層的に立ち現れてくるようだ。 [レビュアー]碓井広義(メディア文化評論家) 1955年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。千葉商科大学大学院政策研究科博士課程修了。博士(政策研究)。1981年テレビマンユニオンに参加。以後20年にわたりドキュメンタリーやドラマの制作を行う。代表作に「人間ドキュメント 夏目雅子物語」など。慶應義塾大学助教授などを経て2020年3月まで上智大学文学部新聞学科教授。著書に「少しぐらいの嘘は大目にー向田邦子の言葉」(新潮社)、「倉本聰の言葉―ドラマの中の名言」(同)、「ドラマへの遺言」(同)ほか。毎日新聞、北海道新聞、日刊ゲンダイなどで放送時評やコラムを連載中。[公式サイト]碓井広義ブログ 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社 

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