佐野寿宏のBOOKブログ!「幸福な過去」に戻れる“シェルター”があったとしたら? 現実逃避が各国に蔓延して… ブッカー国際賞受賞作『タイム・シェルター』(Bookレビュー)
ブックバン 7/8(水) 6:00
書評『タイム・シェルター』
人気女性アイドルグループ櫻坂46に「何歳(いくつ)の頃に戻りたいのか?」というシングル曲があるのだけれど、多くの人が一度はそんなことを考えた覚えがあるのではないだろうか。楽しかった頃、幸せだった頃、自分が輝いていた頃に戻りたい、なんならその数年間だけをリピートしたい。ブルガリア生まれの作家ゲオルギ・ゴスポディノフの『タイム・シェルター』は、そうした願望の脇の甘さを突きつけてくる物語になっている。 1989年の9月、〈ぼく〉は海辺の都市で開かれた恒例の文学セミナーで、ガウスティンという男と出会って親しくなる。ガウスティンの心を占めていたのは過去。普段は古い空き家を巡りまわってガラクタ品を集め、それを骨董屋などに売って生計を立てているのだという。そんな彼から時折手紙が届くようになるのだが、数年後の9月1日に受け取った手紙には〈(前略)今まできみに言わなかったけど、ぼくの母親はユダヤ人なんだ(思い出してくれ、去年オーストリアで何が起きたかを、そしてドイツでの「水晶の夜」を)。(中略)ぼくは決心した。必要な準備はしてあるので、明日の朝、列車でマドリードへ発つ、そしてリスボン、そこからニューヨークへ……/今はさらば。/きみのガウスティン/一九三九年八月十四日〉と記されていて――。 1939年9月1日は第二次世界大戦の開戦日。この小説世界でこの日は〈人としての時間の終わり〉と定義されていて、さまざまな時代が描かれることになる物語の中での里程標的意味合いを持たされることになるのだけれど、だからといって表向き反戦小説のていをなしてはいない。〈空港で飛行機を乗り換えるように、時代から時代へと飛び移って行く〉ガウスティンというタイムトラベラーのような人物を暗躍させても、だからといってSF小説のていもなしてはいない。作者は読者を、まずは現実に存在したら面白いだろうなと思わせる「タイム・シェルター」へと案内してくれるのだ。 それは金銭的パトロンを得たガウスティンがチューリッヒに設けた、認知症をはじめとする記憶をなくした患者のために、幸福な記憶に基づく〈彼らの内的な時間にあわせた空間〉となる環境――その時代に存在した家具、飲み物、文化、匂い、そしてたくさんの物語――を作り出すクリニックのことだ。〈ぼく〉もガウスティンを助けるために、そうした詳細な情報を収集する役目を果たすようになっていく。 ルーマニア人のミルチャは、社会主義体制下、本当にあったことはすべて忘れて、アメリカだけが心を占めるようになり、見てもいない1981年にセントラルパークで開催されたサイモン&ガーファンクルの野外コンサートの思い出や、つきあったこともない女性の話をいきいきと語るようになる。 記憶を蘇らせてくれる家族も友人もいないN氏は、自分を常に監視していた公安警察の男A氏から話を聞くしか術がなかったのだけれど、そのおかげで自分を深く愛してくれた美しい女性の思い出にたどり着く。 タイム・シェルターの70年代の区画(コミュニティ)に住み、毎朝1979年の新聞を読むことを習慣にしているジョン・レノンを愛してやまない男ランナーは、ある夜急にレノンが暗殺されると騒ぎだし、愛するアーティストを守ろうとコミュニティから脱走する。 〈ぼく〉もまた認知症の父親と共に、子供の頃に一緒に見た1978年のワールドカップの試合を追体験する。 などなど、こうした物語前半で紹介される、シェルターに入った患者たちのエピソードが読んでいて面白い。生きている年数の分だけ培われてきた記憶がその人だけのものなら、〈身体のなかの一つ一つの部屋の明かりを誰かが消していく〉ような記憶の失い方もまたその人だけのものであることを雄弁に物語っていて興味深いのだ。 こうしてガウスティンのクリニックはじょじょに評判になり、来院者を増やし、過去の区画も60年代、40年代、50年代、70年代、80年代、90年代と増設。記憶を失っていない人もコミュニティの住人として受け入れるようになったガウスティンはやがて、たとえば1985年という特定の時で成り立つ本物の都市を作ってしまおうというアイデアを思いつく。そんなガウスティンに注目したEUの三首脳が、自ら60年代の部屋を体験したことをきっかけに、なんと、ヨーロッパの国々がどんな過去に戻りたいかを決める国民投票を行うことを決定。かくして、最初は記憶を失った人のためのシェルターの話だったはずの物語が、中盤以降は欧州規模で展開していくことになるのだ。 ブルガリア、フランス、スペイン、ポルトガル、スウェーデン、デンマーク、チェコ、ポーランド、ルーマニア、オーストリア、ドイツ、スイス、イタリア。この「もし過去を選ぶ国民投票をしたら」というifをめぐるシミュレーションも読みごたえ十分。読みながら「日本人なら、自分なら、どの時代を選ぶだろう」と想像せずにはいられなくなるはずだ。 「何歳(いくつ)の頃に戻りたいのか?」。郷愁をともなうこの想像の明暗と、記憶のメカニズムの不思議を描くこの小説の〈ぼく〉は、おそらく作者ゴスポディノフ本人に近い人物で、時間のフラヌール(散策者)たるガウスティンは〈ぼく〉の分身ではあるものの、どちらがどちらを生み出したのかはこの小説は明らかにしない。 国民投票の結果、さまざまな時代を生きることになったヨーロッパ諸国では過去の事件を正確に再現するブームが起こり、そのことによって再び1939年の世界が訪れるという展開には、人類は過去に学ばない、過去を乗り越えられないという作者の悲観が投影されているようにも思える。過去や記憶がノスタルジーの甘い汁だけを滴らせるわけではないことを伝えて、これは相当な苦味をともなうリアリズム小説でもあるのだ。 [レビュアー]豊崎由美(書評家・ライター) 1961年、愛知県生まれ。フリーライター、書評家として活動。雑誌や新聞、WEBなどで書評を多数掲載。著書に『そんなに読んで、どうするの?』『ニッポンの書評』、共著に『文学賞メッタ斬り!』『百年の誤読(ちくま文庫)』などがある。 協力:新潮社 新潮社 新潮 Book Bang編集部 新潮社

コメント
コメントを投稿