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【該当作なし芥川賞】選考委員の講評「新しい試みや視点」には申し分ない2作! 『時の家』と『篝火』を解説(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/20(水)   6:00        第173回芥川賞は「該当作なし」に終わり、 川上弘美 選考委員は講評で「芥川賞は何らかの新しい試みや視点がある作品に、という願いがある」と述べた。  今回取り上げる2作は、その点については申し分ない。何しろ主人公が「家」と「火」である。  鳥山まこと「時の家」(群像8月号)は、築40年の平屋と、その家に住んだ人たちの物語である。  初代の住まい手は、家を設計した建築家の藪さん。藪さんの死後、夫の赴任先マレーシアから単身帰国し数学塾を開いた緑さんが住んだ。緑さんの後には圭さんと脩さんの夫婦が住んだが、彼らの退去後、買い手がつかず解体に瀕している。  空き家になった家に一人の青年が忍び込む。  藪さんに懐いていた青年は、小学生の頃から家に出入りしていた。美大を志望したが失敗し、空虚さを抱えていた青年は、藪さんの隣で絵を描いていた頃の充足感を呼び覚まし、人生の細部を掬い直すように、家の細部を絵に写していく。    青年を導くのは、藪さんの「家っていうのは時の幹やから」という言葉である。家という幹に繋がる細部のそれぞれに時間と記憶が重なっている。青年が細部を写し取ることは、代々の住まい手たちの時間と記憶を掬い直すことでもあるのだ。  本作の優れた点は、作品を司るこの観念が、同時に手法にもなっていることだ。青年が細部を描けば、藪さんの、緑さんの、圭さんと脩さんの時間と記憶が重層的に起ち上がるのである。  大木芙沙子「篝火」(文學界8月号)の語り手「わたし」は、天から落ちた「火」である。「わたし」は、犬、岩、人間に変幻しながら人間たちと関わる。  この小説にはもう一つ、二人称「あなた」で語られるシングルマザーと娘の物語が並行している。  神話的悠久である「わたし」の物語と、一夜の出来事である「あなた」の物語が、時空を歪めて接している。その離れ業を可能にしているのは、神話的存在であり、災いや 怒り や生命の象徴でもある「火」の多義的操作なのだが……ううむ、少ない字数で説明するのは困難だ。ともかく「新しい試み」の野心作である。 [レビュアー] 栗原裕一郎 (文芸評論家) 1965年生まれ。2008年『〈盗作〉の文学史』で第62回日本推理作...

フィクションでは書けない驚きと深み 浜田哲二、浜田律子『80年越しの帰還兵』(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/20(水)   6:00     森健・評「フィクションでは書けない驚きと深み」  沖縄本島南部の壕内の一角。ツルハシで土を起こし、熊手でかき、細かくなった土砂を確認する。石、サンゴの破片、木片、虫の蛹や卵……。そんな中に時々出てくるのが遺骨と遺留品だ。  やっていくうちに違いや特徴がわかってくる。遺骨は「サンゴ片や石よりも柔らかくて軽く、腐った木片よりも硬い」。壕内ではつらい事実も目にする。手榴弾で自決をした兵士の遺骨だ。 「ひとつは頭部や胸部、腹部に大きな損傷を受けていることだ。頭蓋骨や全身骨がすべて吹き飛んでいる例は見たことがないが、この日午前中に発掘した遺骨の一部を見せてもらうと、下顎が無く、肋骨がバラバラに飛び散っていた」  そんな遺骨を探す活動をしてきたのが本書の著者夫妻だ。ただ、通常の遺骨収集とも少し違う。彼らは、出てきた遺留品をもとに身元を特定し、その遺骨や遺留品を現在の遺族に届けるという活動まで行っている。本書はそんな活動を綴ったノンフィクションである。その展開は遺骨収集の苦労話で終わらず、意外な驚きに満ちている。  著者夫妻は、夫の哲二が元朝日新聞のカメラマン、妻の律子が元読売新聞の記者で、2000年代初頭から沖縄本島中南部で遺骨収集の活動に勤しんできた。2010年に哲二が早期退職してからは毎年2ヶ月間、現地で活動してきたという。  遺骨収集のきっかけは、沖縄戦を視覚的に紹介したいと沖縄の本土復帰30年を前に遺骨収集の達人、国吉勇に声をかけたのが始まりだ。国吉を通じて北海道斜里町から遺骨収集に通って来ている高齢夫妻に出会い、浜田夫妻も遺骨収集に進んでいった。  そのため、本書でも最初はそんな遺骨収集の達人の話から進んでいくが、これも“ふつうのいい話”には落ち着かない。真面目に長年掘り出してきたはずなのに、そんな達人が収集遺骨をめぐって金儲けを企む人物に唆されてしまうような展開もある。  だが、なにより読みどころとなるのは、夫妻が遺留品を元に身元を調べ、遺族を探していく行程だ。  国吉から譲り受けたカメラを見て、夫の哲二は、日本人記者のカメラではないかと見当をつけ、その持ち主を探していく。カメラを調べ、殉職した記者を調べ、前職の関係者にもあたっていく。 「紛争地の取...

日本が陥る「新型インフレ」とは? 経済過熱ではなく“モノが不足して起きるインフレ”への対処法(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/19(火)   6:00        長期のデフレの後には、新型インフレが日本経済を待っていた。賃金が上がってもインフレの方がひどいので、生活が楽にならない。電気・ガス代からお米の値段といった日常の食料品まで高騰している。デフレの時代が長かったので、時間が経てば物価が下がるだろうと国民の多くは待ちの姿勢になる。そうなると消費が低迷して、人々の貯蓄が増えて、日本経済は停滞したままになる。永濱利廣『新型インフレ』は、 コロナ禍 から始まる物価の動きを見事に解明している。    新型インフレの核心は、コストプッシュ型であることだ。 ウクライナ戦争 による食料やエネルギーの不足と円安によって輸入価格が上昇したのが始まりだ。輸入価格は足元では落ち着いているが、他方で天候悪化によってお米など食料品の不足は継続している。  簡単にいうとモノが不足してインフレが起きているのだ。経済が過熱して起きるディマンドプルインフレとは違う。経済が過熱するにはほど遠い状況だ。しかし政府は減税など積極的な財政政策に消極的で、また 日本銀行 は経済過熱を抑制するときに行う利上げスタンスを採用している。これはきわめて奇妙な経済政策への態度だ。  本書では、高圧経済を推奨している。減税などの財政政策とそれを支援する金融政策によって、景気を過熱気味にし、弱い立場の労働者にも恩恵が及ぶことで生産性が向上する、という政策だ。本書には物価を正しく見る視点がある。 [レビュアー] 田中秀臣 (経済学者) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社    

なぜ彼は「一杯2000円もする高級コーヒー」を飲むのか? 思わず真相が知りたくなるミステリ短編集(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/18(月)   6:00      上首尾の短篇集である。  水見はがね『朝からブルマンの男』は五篇から成る短篇集だが、収録作はすべて水準以上の出来で、どれを読んでも新たな発見があり、古典的な技巧をこんな風に使うのか、と感心もさせられる。しかもこれが作者のデビュー作だというのだから、言うことはない。  表題作は、小倉千明「嘘つきたちへ」(同題短篇集所収。東京創元社)と第一回創元ミステリ短編賞を同時受賞した。桜戸大学ミステリ研究会に属する一年生の冬木志亜は、 二年生の先輩・葉山緑里と共に、友人の父親が経営する喫茶店で起きている奇妙な事態の謎解きに挑む。  その〈まほろば〉に週三回、開店と同時にやってくる客がいる。注文は常に、一杯二千円もするブルーマウンテンだ。なぜ彼は、朝からそんな高級なコーヒーを飲むのだろうか。  この小さな疑問が思わぬ道筋を辿って膨張していくのである。志亜の大胆な想像と緑里の地に足のついた推理の組み合わせが読みやすく、結末まで気持ちよく導いてもらえる。解決の見せ方も巧いのだが、この作者は謎を提示するやり方も上手で、ついつい関心を惹かれてしまう。「ウミガメのごはん」で提示されるのは、母親が作るごはんが金曜日だけまずいのはなぜか、という謎だ。思わず真相を知りたくなるではないか。  温故知新、今では見かけなくなった技巧も意図的に取り入れられている。表題作では現在は人気薄だがミステリー創成期からあるトリックが用いられていた。四話目の「受験の朝のドッペルゲンガー」には謎解きのヒントとして、なんと時刻表が使われる。まるで昭和のトラベル・ミステリーのようだ。もちろん、西村京太郎作品にも言及があった。  謎を解くと事件関係者の真意が見えるようになる、という話の構造で、友情と信頼を描くことを共通の主題とした短篇集でもある。草原を吹き渡る風のように清々しく、好ましい。 [レビュアー]杉江松恋(書評家) 1968年東京都生まれ。ミステリーなどの書評を中心に、映画のノベライズ、翻訳ミステリー大賞シンジケートの管理人など、精力的に活動している。著書に海外古典ミステリーの新しい読み方を記した書評エッセイ『路地裏の迷宮踏査』『読み出したら止まらない! 海外ミステリーマストリード100』など。2016...

人間の哀しさと愛おしさ、自然の美しさと不思議さ…「橙書店 オレンジ」店主・田尻久子が手放せない文庫3冊(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/18(月)   6:00       「橙書店 オレンジ」の店主・ 田尻久子 さんは、本と静かな対話を大切にする、熊本の街角に佇む小さな書店の守り人です。  そんな田尻さんには、「この小さな本を私は手放さない」と語る3冊があります。  1冊目は、 向田邦子 の『思い出トランプ』。  2冊目は、 梨木香歩 の『家守綺譚』。  そして3冊目が、 レイチェル・カーソン の『センス・オブ・ワンダー』です。  それぞれの本に、田尻さんが手放せないと語る理由とは?  田尻久子・評「この小さな本たちを私は手放さない」  本好きは、単行本で持っているのに、文庫化された同じタイトルの本を買ってしまうことがある。書店を営んでいるので、ときにその場面に遭遇する。常連さんだと会計のときに気付いてしまい、「その本、持ってますよね?」とつい訊くと、「増補してあるから」とか「解説を読みたい」とか、「持ち歩き用」などといった返事が返ってくる。気持ちはわかる。私は向田邦子全集を持っているのだが、ぼろぼろの『思い出トランプ』の文庫版を手放せないでいる。若くて、住んでいた部屋も狭くて、文庫本ばかりを買っていた頃に手に入れた一冊。向田作品との出会いは、本ではなくてブラウン管テレビを通してだった。小学校に上がる前にはすでに「寺内貫太郎一家」を見ていたから、ませていたのだろう。当時まだ“悠木千帆”だった樹木希林が、身をよじらせて「ジュリー」と言っていた姿を覚えている。  好きな新潮文庫三冊というお題をいただいて、『思い出トランプ』をまず読み返した。1980年刊行の短編集で、家族の話が多く、家父長制がいまよりさらに根強かった頃の物語だから、もやもやするかもしれないという不安があったのだ。だが、案ずることなかれ。人間の持つずるさや弱さ、近しい人に秘密を持ってしまうことのうしろめたさを描く本書には、時代が変化しても変わらず心惹かれた。年を取った分、むしろ面白さが増したような気さえする。  改めて感じたのは、五感に訴える表現が多いということ。たとえば「耳」という一編では、熱を出して欠勤している男に、耳の下で水枕がプカンプカンと立てる音や日向臭い水枕のゴムの匂いが、幼少期の記憶を想起させる。意識せずとも映像が浮かび上がり、音が聞こえ、...

臨床心理学者河合俊雄さんに「夢の見方」を教えてもらう 河合俊雄『謎とき村上春樹』(Bookレビュー)

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 ブックバン      8/17(日)   6:00       森田真生・評「臨床心理学者河合俊雄さんに「夢の見方」を教えてもらう」  夢は決してよく見る方ではないが、いまでもいくつか忘れられない夢がある。たとえば、太陽が爆発する夢。空に浮かぶ太陽が、ゆっくりと、見たことがない大きさに膨らんでいく。不気味な色の空と、異様な大きさの太陽。太陽が膨らむ速度は凄まじく、「太陽が爆発したのだ」とわかる。驚きと戦慄、そして圧倒的な自然の力を前にしてなすすべもない諦めの感情……。地面に伏せる。すべての終わりを覚悟する。と同時に、これまで生かされてきたことへの感謝の念に包まれる。  目覚めて振り返れば、荒唐無稽な夢である。だが夢のなかにいるときには、現実そのものなのである。  夢を見るというのは不思議なことである。ふと気づいたときには、別の世界にいる。だが夢から覚める刹那には、それと気づくことができる。このときにはまだ、夢を現実としていたときの感触が残っている。そして、「あの夢は何だったのだろう」と、夢との対話が始まっていく。  本書は、村上春樹の作品が、「非常にわれわれが見る夢に似ている」という直観から始まる。夢では覚醒時と違う世界が展開されるが、まったくのナンセンスでもない。心理療法では夢が、覚醒時には意識されていないこころを表していると考える。村上春樹の作品もまた、夢のように謎に満ちている。だが物語に身を委ねて不思議な世界に引き込まれていくうちに、「未知の可能性や豊かさ」が示されていく。  ユング派の心理療法を営む著者は、臨床の現場で「夢が何を意味するのかを明らかにしようとする」ときと同じアプローチで、村上春樹の作品が示す可能性を、物語の内側に入り、その内部から捉えていこうとする。  誰もが日々、夢を見ているにもかかわらず、夢の見方を教わる機会はあまりない。日常は、いくつもの物語にいろどられているにもかかわらず、物語の読み方をあらためて学ぶ機会は少ない。  その意味で本書は、貴重な一冊である。夢をどのように見て、物語をどのように読めばいいのか。この本を読みながら私は、丁寧に導いてもらっているような感覚になる。 「物語を未知のものとして受けとめ、その中に入っていき、物語の動きを一緒に行うこと」によってはじめて、物...

宇佐美まこと『13月のカレンダー』を大矢博子さんが読む(Bookレビュー)

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 ブックバン       8/8(金)   6:00     過去を「知る」ことの大切さを描く  両親の離婚以来、長年没交渉だった父方の祖父母が亡くなり、家屋を相続することになった侑平(ゆうへい)。松山市にあるその家を久しぶりに訪れた侑平は、祖父が書いた祖母の看病日記を見つける。さらに十三月のある不思議なカレンダーを見つけ、自分が祖父母について何も知らないことに気づいて近所の人に話を聞いてみた。そこでわかったのは、祖母の寿賀子(すがこ)は広島の出身で、その兄が原爆で亡くなっていたという事実だった─。  物語は侑平が祖父母の過去を辿る現代パートと、寿賀子やその知り合いたちによる戦中戦後のパートが交互に綴られる。昭和二十年八月五日に松山へ移動したため難を逃れた寿賀子と、その船に乗り遅れたために命を失った兄。その兄を捜す友人。目の前で家族を亡くした寿賀子の幼馴染み。細部をゆるがせにしない描写は戦争小説として圧巻だ。  だが戦争や原爆の悲惨さを綴るのであればその当時の話だけで済む。本書は、それを現代の侑平が知る、という部分にこそ核がある。  その時人々は何を思い、何を体験したのか。それは知ろうとしなければどんどん消えていってしまう。あるいは誤った情報が受け継がれてしまう。知ることによって侑平に少しずつ変化が起きる過程こそが読みどころだ。過去を知り、向き合う大切さを描くために、本書は現代の話でなくてはならなかったのである。侑平は体験者の話を聞けたが、現実には当時を知る先人たちは減っている。その代わりを務めてくれるのが小説なのだ。  何より、ほんの些細な違いが生死を分けることや、せっかく命が助かったのにデマのせいで差別される被爆者の様子は決して過去の話だけではない。後半で東日本大震災やウクライナの戦争の話題が出たときに、著者はこれが言いたかったのだと腑に落ちた。ラストの幸せな奇跡まで、巻(かん)を措(お)く能(あた)わずの一冊である。 大矢博子 おおや・ひろこ●書評家 [レビュアー]大矢博子(書評家) 1964年大分県生まれ。書評家。名古屋在住。雑誌・新聞への書評や文庫解説などを多く執筆。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出した...